《愛すべきわたしの履歴書》…東京も内子も好きだった、ののち徳島にいる今
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びっくりです。
こんなにも更新してなかったなんて(昨今)
こんなにも更新していたなんて!(過去)

2020年・令和も2年。
acomiは徳島・神山のお山にて3児の母をしています。
松の内ももうじきあけますがひとまずは本年もどうぞよろしくお願いいたします

、、
大好きだったexblogも暮らしと時代の流れで手が離れてしまいました が 
ここへきてめっちゃ振り返ったのは就活の履歴書のためでした。。
こんなにも細かく振り返ったのは初めてででも作家としてかなりしっかりお休みしようと思っている今思い出せてよかったこと満載なのでした、というのは
目の前のきもちでそうしようと思っていたことは、あーまだなんにも決まってなくてまだ真っさらでとりあえずおもうように動いてみていいんだった!と改めて思えたから。

、、私個人が忘れていたけれどwebが覚えてくれていた経歴によれば笑→
2005年から本格的に作家活動を始めたacomiは世田谷目黒界隈からチャリ通にて六本木界隈で派遣社員しながら合間にパリ南米行ったり制作したり展示会したり交通事故に遭ったりハワイタヒチ行って衝撃受けて帰国してから四国で内子に出逢ってもーて表参道ハナヱモリビルでの展示会ののち、遠距離引越したのが2007年冬。
…それまでの東京ライフを振り返ると愛車のプジョー転がしつつ仕事帰りにギャラリーやらカフェやら寄りまくり素敵な人人に出逢いハミングキッチンラウラときどき湘南探偵団のLive追っかけまくりウクレレ弾いたりフラに出逢ったり、基本大好きなビール飲みながらめちゃ楽しく暮らしてたことが改めてめっちゃ判明笑!
2007年12月から始まった、まず家の中の服が湿ることに超衝撃を受けた(笑)季節とともにの内子暮らしも地元から移住から町外からの人人の出逢いに恵まれてお花屋給食のおばちゃん八百屋しながら東京で展示会もしつつ、季節、土地、風土、、への感覚がより強くなって“土地に暮らすもののものづくり”な4年間だったこと改めて判明。つくった日傘を風景の中に置いて撮った写真と展示するスタイルが確立したのも内子暮らしのおかげさま。
2011年夏からの徳島での山暮らしは薪割りしつつオットコドモとのバランスとりつつ制作したり。。でもコとの季節の暮らしに重きが置かれそして2015年からフラ部が始まってからはわたしなりのフラをつくるべく生活の中のフラの軸が新たなものとして大きくなってきた、、
そして、今。

もうすぐ8歳、5歳、2歳半の子らを前に、41歳の私は就活してる。布を繋ぐ作家をやめようと思ったことはなくて生涯ものづくりと思いつつも、どうしてだろうね今は五感と心身をぐぅっと研ぎ澄ませて8枚の布を天と地と季節と色と見極めながら繋いで日傘を、、うみだそうとはあんまり思わなくて。
でもあれは6年前、上勝でライターさんに聞かれて答えられなかった「夢は?」が今は結構明確にある。それと今の就活は全く違う方向なのだけれどたぶん10年以内にはその夢のハコに辿り着けているかないるといいなとおもう。そこではそのときのペースに合った繋ぎ作業ができているしよりパワーアップしたフラも踊れているし仕事もできてる。家族とも暮らしているし今より笑顔が断然多くなっている。そんな気がする。

なのでここよりしばらく、作家の制作はわりとしっかりとおやすみに入ります。次にはじまる時は、ここかまた新しいどこかかわかりませんが、必ずお知らせさせてください。2005年から作家活動を始めたとすれば2025年がハタチかあ!ちょっと覚えておこう。


そう、だいぶつくれなくてご迷惑をおかけしているお直しの日傘をふたつ、おやすみ前になんとかカタチにしたいなと思っています。こちらもまたおしらせします。
そうそう、
2003年京都の東寺で出会った帯から《ハンチング》をつくり始め
2006年にハギレから《日傘》をつくりはじめ
2013年にさらにハギレから《シュシュ》をつくりはじめる
って掘り起こしたアイテム別経歴書?も保存版!笑

長くなりました。
今宵の夜長のおともは “僕ビール、君ビール” 。やっぱりビールが好きっていう。
2020.1.14 徳島神山のお山より、acomi

by acomino.cocoro | 2020-01-14 00:00 | ものつくりの心。
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