*ピンをとめるのに、10年かかった




春一番が吹いたって
10年前の頃より、1か月も早い・・・

明治大正生まれの木のわが家では 
うちの中にいても、風の気配をともにしています(自慢)。




11年前の春
東京で、風に飛ばされた看板が激突して
真っ赤で目があかなくて、通りかかりの人の手のあたたかさとか
救急車の近づく音とか、友達や家族との会話、気が遠くなるいたみとか・・それで
風の強い日は外に出られなくなって、びゅんっと向かってくる風には立ちすくんだ

皆が知ってる、前髪ぱっつんの黒髪あこみ、だったのは 
事故からも何年も後 パリに行く前に、“ジャポン”っぽいイメージをつくったから
そのスタイルは気に入っていて ずーっとそのままだった
2年前、ハワイ島から帰ってくる夏までは

海に潜って、上がったとき 前髪も上がっておでこが出たままになっていて
お世話になっていた人が、言ったこと
“その方がいいじゃない、ぱあっと目の前が開けたみたい”

前髪は おでこの傷を隠すため ではなかった、はずだけれど
あの頃の やくざみたい、という後輩男子のなにげない冗談とか 
電車で女の子のピンでとめたつるっとしたおでこをみるたびくらくなる幼い心とか
そこから、まだ 出ていなかったんだろうと 今は、思う


いろんなことがそぎ落とされて
いろんなことに気づきそうになっていた、ハワイ島とタヒチから帰って
前髪をピンでとめて、おでこを出した

ピンをとめるのに 10年の時間がかかった



はじめは、おでこに目が行く相手の目線が気になったりしたけれど
違和感とプレッシャーが、今は自然なことになって なあんともおもわなくなった

そして、気がつかなかったけれど
おでこをだしたことが、また to be natural への道を自然にしたんだとおもえる
それはつまり 自分を知って、自分へとかえる道


それから、帽子をあまりかぶらなくなった。笑
acomi ちゃんの帽子ったらカワイイから(自分でいう)、
きもちで色を選んでかぶって歩くと、しゃんとした感じで好きだったんだけれど
帽子はイランと思えて ぼさっとした頭でも、何もかぶらないで歩くようになっていた
身ひとつで 太陽を浴びて土や草の上を歩いているきもちよさを、知ったから

でも今や 大海原に、板だけでいるときのために
つばのあるぬれていい帽子を開発しなきゃ!て感じだけれど。笑





なにが、この人間をつくりだしているか
きがつかないことばっかりなんだろうとおもう

いまは、今の自分にきづけたいろんな出会いに感謝するばかり
傷のおかげだって思えているいろいろな感謝のこころを、
あの頃の 19の女の子に伝えようとおもう






ある年の 春一番の、おはなし






*ピンをとめるのに、10年かかった_a0030038_10182438.jpg

by acomino.cocoro | 2009-02-13 23:59 | 生きる。
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